水戸地方裁判所下妻支部 昭和28年(ワ)54号 判決 1955年10月06日
原告 柴信一
被告 松岡信篤
主文
被告は原告に対して、金四万七千七百円及これに対する昭和二十八年四月二十三日から支払迄年五分の割合による金員を支払ふべし。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
一、申立
原告は被告に対して「被告は原告に対して金十二万円及びこれに対する昭和二十八年四月二十三日から支払迄年五分の割合による金員を支払ふべし訴訟費用は被告の負担とする」との判決並仮執行の宣言を求めた。
被告は原告の訴訟を棄却するとの判決を求める。
二、請求原因並答弁
原告は請求原因を次のように述べた。
「原告は昭和二十七年四月二十七日左脚腓骨脛骨下部の骨折のさい医師たる被告の診断を受け原状に復することができるとの被告の言を信じて治療を受けたのであるが被告は当然使用すべきレントゲンの使用を怠り且不注意にも接合するに当り牽引を十分なさず(接骨面と接骨面とを接合せしめず)骨折部分を重畳して接合し入院の要否、氷による冷却の要否を問ひたるにその必要なしと軽卒に判断回答しまた初診一週間後左脚が短くなつているようだとの原告の言にも耳をかさずして治療した為左脚が一寸位短縮し蹇となり該接合箇所が太くなり十町以上の歩行が困難となつた。
被告が医師として業務上当然使用すべき機械を使用せず用ふべき注意を怠つて治療したため以上のような結果を招来したのであつて原告は被告の不法行為によつて精神上多大の苦痛を蒙つたから被告に対して慰藉料として十万円、なお被告は右の如く不注意なる治療を施して物的損害をも与えたのであるからその中被告に支払つた治療費二万円合計十二万円の賠償を請求する。
原告は予備的に被告の債務不履行を主張する。被告は原告の受診については完全な治療行為をなすべきであるにかゝわらず前記の如くこれを怠つたから債務不履行による精神上の損害として金十万円、被告に対して支払つた治療費金二万円相当の損害金合計十二万円の支払を請求する。
被告の答弁事実中初診のとき外側に一糎余りの外傷存し同所から骨折部分が突出し下腿の多少の運動によつて噴血しズボン下に血液がたまつておつたこと、被告が複雑骨折だから切断するのが普通云々と語り原告が是非切断しないで接ぐようにして欲しいと語つたこと、右治療には接合部が太くなり脚の短縮を伴ふのが必然的結果であることはいづれも否認する。」
被告は次のように答弁した。
「原告主張の事実中、昭和二十七年四月二十七日原告が原告主張の負傷を蒙つたので被告がこれが治療をなしたこと、被告が治療に当りレントゲン撮影の処置をとらなかつたこと、氷の使用を認めなかつたこと、治療後左脚の接合部が多くなり左脚が短縮したことは認めるがその余の事実は否認する。
被告が往診を求められて真壁郡紫尾村酒寄の土生都某方に赴き原告を検診したところ「下腿下部三分一位の外側に一糎余りの外傷存し、そこから骨折部分が突出して出血し下腿の多少の運動によつて噴血しズボン下に血液がたまつており下腿中央近くが左右に移動し圧力により患部に伊櫟音を触知することができ自発痛圧痛甚だしく手をゆるめると患部がたるむ」といふ状況で被告はこれを「左脚腓骨二か所脛骨の中央からなゝめに下部にかけての複雑骨折」と診断した。右症状は外観触診等で判定できるのでレントゲン撮影を行はなかつた。
そこで被告は原告に対して「複雑骨折だから切断するのが普通であるが整骨した前例もあるから接いで見ましようか万一それが不成功に了つて危険が生ずるおそれがある模様になつてからでも切断は出来るから」とききたゞしたところ原告は「是非切らないで接ぐようにして欲しい」と答えたのでその方針をとり直ちに上下の方向に軽く牽引して止血のため三針縫い整復の処置あん法をし副木固定ほう帯を施してペニシリン三〇万単位の注射をなした。
被告はかゝる状態であつたので原告の骨折に対して原型の如く治癒することができる旨述べたことがない。また氷による冷却は骨を接ぐ手当としてはむしろ害をなすおそれがあるのでこれを用いることをすゝめなかつた。
しかして原告主張の如く接合部が多少太くなり且脚が短縮したが折骨部がゆ着するさいは仮骨(カルルス)が接合部に集つてゆ着するのであるから該部が従前より多少太くなるのが通例である。また本件の如き複雑骨折の場合は折骨面と折骨面とを接着せしめるため若干不可避的に短くなるのである(本件の場合は僅か一糎の短縮である)従つて右二点の不完全性について被告に何等の責任はない。被告の治療行為はむしろ前記症状と満五十八才になる原告の年令とを併せ考えるならば大成功を納めたと言ふべきである。
歩行も左脚が短くなつた関係から多少の不自由は生づるであろうが可能で支障を来すことがない。
また原告から受領した治療費は合計七千七百円に過ぎない。
よつて被告等の治療行為については医師として何等の過失がないのであるから原告主張の如き責を負うべき筋合でない。」
三、証拠<省略>
四、理由
被告に原告主張のような過失があるか否かについて按づる。
被告本人尋問の結果によつて成立を認める乙第一号証、証人土生都慶、松岡竜雄、松岡知恵子の各証言、原被告本人の尋問の結果鑑定人五百木雅孝の鑑定の結果に前記争なき事実を綜合すると次のことが認められる。
「原告は昭和二十八年四月二十七日附近の筑波山で左脚を負傷したので真壁郡紫尾村酒寄の土生都慶方で被告の往診を求めて診断を受けた。右負傷は左脛骨下部三分の一の箇所で斜骨折し上骨片は前外下方に、下骨片は後内上方に転移し腓骨は上下二か所の斜骨折であつた。
被告は外観触診等から二の判断で左脛骨の複雑骨折を認め左下腿下三分一の箇所に一糎余の創傷があつて骨片露出して出血、下腿の多少の運動によつて噴血、ズボン下に血液がたまつており下腿中央近くが左右に移動し圧力によつて患部に伊櫟音を触知、自発痛圧痛甚だしく手をゆるめるとたるむと云ふ複雑にして重症なる状態を認知したので早速脚を上下の方向に軽くけん引し止血のため三針縫い整復の処置あん法をし副木固定ほう帯を施して病毒予防の為ペニシリン三十万単位の注射をなした。
原告から入院の要否を問ふたが被告は安静を保つ必要からと敢て入院迄の必要を認めなかつたのでその旨答え以後同年八月末迄往診をなしてその間固定ほう帯、あん法、ホモスルハミン五〇ccの注射、水泡に対する処置等をなした。原告は初診後一週間位して骨接した左脚が短縮するおそれを感じたので被告に対してレントゲン撮影による検査の要否と左脚短縮するおそれの有無を問ひただしたところ被告からレントゲン撮影の必要がないこと左脚も通常に復することができる旨の言辞を得たので安心して医師たる被告の言に従い自宅で療養をつゞけて来た。原告は受傷以後約四ケ月経過後骨折も接合され歩行も可能となつたが骨折の接合部において脛骨の上片が約一糎位下方に下つて重畳的に接合された為左脚が約一・五糎短縮し且接合部が肥大し十分な歩行が不可能となつた。」
右認定した事実によつて考えるに被告は原告の受傷後数時間後診断し右受傷が外観触診等によつて左脛骨下部三分の一の箇所並腓骨等の複雑骨折であつて左下腿下三分一の箇所に一糎余の創傷があつて骨片が露出して出血甚だしく下腿の多少の運動によつて噴血、下腿中央近くが左右に移動し圧力によつて患部に伊櫟音を触知、自発痛圧痛甚だしく手をゆるめるとたるむと云ふ症状を認知したのであるから医師としてかゝる複雑で重症である骨折の治療をなすに際しては極めて慎重なる態度を持して当るべく、たとい左脛骨々折による損傷がその程度から見てこれに対する通常且無害の処置は左脚切断より外に道がないとしてもこれを措いて骨折部を接合する治療方法を選択してこれを試みる以上、原型に復し得るよう最善を尽して治療を遂行すべき義務存し骨折の接合に当つては骨折部を互に重畳して接合して脚の短縮を来さざるよう心掛け器具等を利用して骨片を十分けん引整復して接合しこれが接合後に於ても接合部の整復状態骨ゆ合の状況等検する為レントゲン検査を行ひ若し往診によつて完全な治療が困難なときは入院をすゝめる等なして現代医術が当然要求している通常且可能な治療方法と器械の利用等を十分行ふべく若し医師においてこれら通常且可能な方法と器械の利用を行ふことができないときは(良心的に治療してやればよいと云ふものではなく)応急処置後速かに患者をして右の方法による治療を受け得るように適当な方策を講ず(例えば他の医院に治療の共力を求めるとか患者に対して治療の適正を期し得る病院に赴くべきをすゝめるなど)べきであるに拘らず被告は医師として守るべき右注意義務を怠り、原告が蒙つた前記骨折の治療に当り接合すべき上下の骨片を十分けん引せず且整復に対する十分なる確認をなさず転位して接合し、接合後においてもレントゲン機を所有しておらなかつたためこれによる検査確認を怠つたため転位して重畳的に接合されあるも気付かず原告からの接合が正常であるか否かの質問レントゲン検査の要否の質問があつたが接合が正常になされあるものと軽信して顧るところがなく医師としての十分な注意を怠つたため数か月後脛骨を転位して接着固定せしめた。
原告の蒙つた複雑骨折を完全に原状に回復し得ることは困難で多少の変形は免れないところであろうが原告の左脚の短縮、下腿接合部の肥大、十分なる歩行の困難等不完全性の招来が被告の右過失ある不法行為にその過半の責があるものと認める。
しからば被告は原告に対して右不完全性を招来したことによつて惹起された損害を賠償すべき義務がある。
原告は(原告本人の尋問の結果によれば)当時五十八年、肩書住居地で農業を営み田畑一町五反歩を耕作し且薪炭の生産等をなしおるものであることが認められるから原告に対する慰藉料は金四万円を以て相当とする。しかして前記乙第一号並被告本人尋問の結果によれば原告が被告に支払つた治療費は七千七百円と認められるところ該金は被告の前記不法行為によつて目的を果さなかつた無益な支出に帰したのであるから原告は被告に対してこれが賠償を求め得るものとする。
以上の理由によつて原告の請求は被告に対して慰藉料として四万円、前記物的損害として金七千七百円合計四万七千七百円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和二十八年四月二十三日から支払迄年五分の割合による損害金の支払を求める限度において正当でその余は理由がないから仮執行の宣言の申立を却下して主文のように判決する。
(裁判官 亀下喜太郎)